柏飛行場と陸軍飛行戦隊

  • 2015.07.08 Wednesday
  • 23:48

<柏飛行場営門跡>

柏市の現在柏の葉公園や住宅地、官庁の建物などが多くある場所に戦時中あった柏飛行場は、陸軍の飛行戦隊が駐屯していた飛行場で、首都圏のほかの飛行場、成増や立川、調布、松戸、印旛などと同様に首都防衛の任務を担っていたとともに、南方への戦闘機移動元でもありました。長く柏飛行場に駐屯していた飛行第五戦隊も、昭和18年(1943)7月、ジャワ島マランに移り輸送等の掩護を行ったりしていましたが、当時の陸海軍が捷号作戦として南方から中国にかけて展開しようとした一連の大規模軍事作戦の最初にして最後の作戦であった、捷一号作戦に柏から飛行第一戦隊(捷一号作戦発動時の戦隊長は松村俊輔少佐)が参加したことは特筆すべきでしょう。

飛行第一戦隊は第十二飛行団に属し、第十二飛行団(川原八郎中佐)は第三十戦闘飛行集団(青木武三少将)に配下で、その上に第二飛行師団(木下勇中将)がありました。
『大陸指第二千二百三十四号』により、昭和19年(1944)10月18日、捷一号作戰が発動され、飛行第一戦隊はフィリピン戦線に投入されたのです。
第三十戦闘飛行集団の司令部や急きょ編成された飛行第二百戦隊という、通常の戦隊の二倍の編成(6個中隊)で戦闘機を60機も持っている戦隊は明野飛行学校を母体としており、フィリピンに色々なところから急いで兵力が集められた感があります。

飛行第一戦隊が上海、台湾経由でフィリピンのマルコットに着いたのが、昭和19年10月22日で、24日にはレイテへの総攻撃がありましたが、既にその日に飛行第三戦隊(軽爆)が、出発が定刻より遅れたことにより壊滅的な状態になるということがありました。第十二飛行団の戦闘機は川原団長以下、飛行第三戦隊を掩護すべく飛び立ったのですが、飛行第三戦隊長の木村修一中佐の搭乗機が泥濘で離陸できず、それを救出しようとした人がプロペラで負傷するなどして、飛行第三戦隊は20分ほど遅れました。一方掩護する側は第三戦隊は低空で飛んでくるものと思い、そのまま出発、丸腰状態の飛行第三戦隊は戦隊長機も含めほぼ全滅となりました。

そして飛行第一戦隊も、10月28日払暁にはマナプラ飛行場で松村戦隊長が離陸時の事故による戦死をとげ、その前後で中隊長クラスの搭乗員が何人かなくなっています。松村俊輔戦隊長は陸士46期、戦闘機に乗って十年以上のベテランでしたが、戦闘機の定位置が少しずれていたために、軌道修正がきかずに正常に離陸できず、殉職しました。なんと、11月7日付けで松村戦隊長の後任とされた春日井敏郎大尉は戦史によれば、実は10月25日に戦死していたとあり、そのあたりでパイロットの方はかなりなくなっているようです。
戦後70年、柏飛行場は遺構も少なくなり、住宅地の中に埋没している感がありますが、ここに起居した将兵は、陸軍軍人とはいえ、もとは我々と同じ市井人であり、よき親、よき息子だった筈です。戦死せずに生き残った方たちは、会社勤めをしたり、商売をしたり、軍医さんは開業医になったり、普通の市民生活を送りました。

  フィリピンで戦死した春日井大尉(飛行第一戦隊元大尉のアルバムより)

一般的な研究者が行う戦争遺跡についての研究は、ややもすると戦争遺跡自体の規模や往時の機能などに目が行きがちで、かつ聞取りなども割合に聞取りがしやすい飛行場周辺の住民や工事などに動員された勤労学生だけにとどまっていて、やすきに流れているようです。軍人出身でないような、普通の研究者は、軍隊の細かいことまで知りませんし、軍隊生活がどのようなものか実感で知ることもなく、肝心のそこで訓練し、生活していた、戦争末期にはB29を迎撃したりした当の軍人たちへの密着した聞取りなどはあえてしない、面倒なことは避けているのではないかと思われる場合さえあります。 いくら周辺住民に聞いても、飛行場内部、軍内部のことは分かりません。 飛行場の兵舎で寝起きし、実際に飛行場で訓練、出撃した人でしか分からないことが多いのです。


<終戦直後の1948年の国土地理院空中写真(NI-54-25-1)に文字入れをおこなった>

不戦の誓い新たに、旧軍のこと、アジア・太平洋戦争の実相を知ることは、二度と悲惨な戦争を起こさないということにもつながります。 

歴楽講座「柏飛行場跡を歩く」

  • 2014.09.25 Thursday
  • 07:11
手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会では、歴楽講座の一環として、旧陸軍の飛行戦隊が駐屯していた柏飛行場跡の見学会を行います。以前、当会では旧陸軍飛行第一戦隊に所属されていた元軍人の方々や旧海軍秋水隊の元隊員の方から聞き取りを行いました。またロケット戦闘機秋水の地下燃料庫(花野井)の見学会も昨年と2006年に行いましたが、柏飛行場跡の見学会は初めてです。

<柏飛行場営門跡>
営門

<弾薬庫跡>
弾薬庫

柏飛行場は、日中戦争当時に開設され、アジア・太平洋戦争の敗戦まで使用されました。 戦争末期には、 1 回の飛行で 2 トンもの燃料を消費するロケット戦闘機秋水が配備され ようとした飛行場でもあります。柏飛行場跡地は、多くは住宅地や公園、官庁、学校の 建ち並ぶ街に変わりましたが、その中に今も残る営門跡や弾薬庫、ガス庫、掩体壕など、 生々しい戦争遺跡もあります。今回、当会では恒久平和を祈念しつつ、柏飛行場跡地を めぐる歴史散歩を行います。 
   
日時:2014年10月26日(日) 13時30分〜16時(予定)
参加費: 会員:300円、一般:500円(資料代込み)
 
集合: 柏の葉公園 公園センター大会議室  (バスは柏駅西口または柏の葉キャンパス駅より、柏の葉公園中央バス停下車 1 分)
予約不要  雨天中止
駐車場はありますが、有料です 
問い合わせ: メール:info@matsugasakijo.net 
          
【タイムスケジュール・コース】
13 時 30 分 柏の葉公園 公園センター大会議室(コース説明)→14 時 厳島神社・野
馬土手→弾薬庫跡→柏飛行場営門跡→柏飛行場兵営跡→航空廠関連倉庫跡→駒木台八幡
神社→航空観測所跡→16 時 柏の葉公園(解散)
(希望者は掩体壕跡も見学)
 

新年から倍返し?「柏飛行場と豊四季」の講座

  • 2014.01.30 Thursday
  • 06:44


歴楽講座の一環としておこなった「柏飛行場と豊四季」の講座は、もともと豊四季の会場をおさえたため、そういうテーマにしたのです。 地域に密着した話題や考古学などですと、そこそこの人が来るのですが、従来から戦争遺跡や軍事史に関する話をしても、来場者が減る傾向にありました。しかし、題名に「豊四季」の文字をいれ、豊四季で開催したためか、直前に読売新聞、地域新聞にイベント情報が載ったのが奏功したのか、30名の予想が倍以上になったのです。

「倍返しだ」という訳ではないですが、会場も新富近隣センターの会議室から多目的ホールへ急遽変更。
講座の趣旨は地域の歴史を掘り下げるという意味で、たまたま知った豊四季に臨時兵舎があったこと、軍事物資の中継点で柏飛行場まで軍事用道路があったことなど、当地と柏飛行場の関わりを話すことでしたが、以前陸軍飛行第一戦隊の元隊員の方たちを市川の方を介して知り、聞き取りをおこなったので、その内容もいれました。

多少残酷な話もしました。飛行機事故の話、フィリピンの罪もない人を試し斬りにした将校、終戦直後にあった地上部隊での処刑、戦争とは平時であれば平凡に暮らしていたであろう人の運命を狂わすもので、戦時中の日本は国をあげて異常な状態になっていたと思います。松根油で飛行機を飛ばそうとしたり、ロケット戦闘機秋水の燃料のために国家予算の7%を使うなど、今となっては信じられません。
講座の中でも言いましたが、今は戦争や軍隊のことをリアルに知っている人が少なくなり、インターネットの世界では荒唐無稽な嘘がまかり通っています。太平洋戦争がどれだけ彼我の国力を無視して開始、継続されたものか、戦争が無辜の人たちを巻き込んでどれだけ悲惨だったか、知らないのです。Wikipediaをみても、年月日など事実と相違することが多々あります。ある隊長はインターネットではノモンハンで戦死したとなっていましたが、実際には乗っていた戦闘機が被弾、火傷を負いながら脱出して生き残り、昭和20年には少将になって勲章まで貰っていたとか、そんな事例は山ほどあり、戦争に関するインターネットや最近の映画などは事実とかなり乖離しています。資料はなかなか残っていませんが、地道に実体験をした方に聞き取りなどおこない、歴史を検証することが重要でしょう。

なお、五式戦闘機の質問をされた方がいましたが、戦時中に実際に軍のパイロットをされていた方だそうです。五式戦は四式戦より、エンジン音が静かで軽快に飛ぶそうです。京都の者で、こちらのことは良く分からないが、とのことでした。一通り、話が終わってから実は戦時中にパイロットだった方が聞いていたと知り、釈迦にご説法とはまさにこのことと思いました。
講座が終わった後でも資料請求などありました。

柏飛行場と豊四季

  • 2014.01.18 Saturday
  • 10:10
昔の柏飛行場の玄関口が東武鉄道の豊四季駅。豊四季駅を利用して、柏飛行場やその南の東部百二部隊に物資が運ばれ、また人の往来もありました。

以下は、柏飛行場に関する当会の動画です。



以前、柏飛行場に駐屯していた飛行第一戦隊の整備隊の方々から聞き取りを行いましたが、その様子は記録として作成しました。また、柏飛行場に配備される予定であったロケット戦闘機秋水についても、海軍の秋水隊の元隊員(中尉)の方から聞き取りを去年行っています。

飛行第一戦隊は昭和18年(1943)11月に柏飛行場に旧満州経由で移動してきて、昭和19年(1944)10月8日、捷一号作戦の発動によりフィリピンのクラークフィールドに移動、リパやマナプラに展開し、レイテ攻撃戦に参加しました。レイテ戦では多くの犠牲を出し、航空兵力は約半月でほぼ壊滅したそうです。柏では一式戦闘機隼から四式戦闘機疾風に機種改編をおこなったのですが、薄暮訓練中の事故などもあったそうです。

以下、飛行第一戦隊関連の動画↓
 

柏飛行場関連動画

  • 2013.11.15 Friday
  • 23:07
柏市の歴史を語る上で欠かせないのは、柏飛行場。
それを動画にしてみました。

なお、実際に元隊員の方と交流のあった陸軍飛行第一戦隊に偏っているかもしれませんが、ご容赦を。

<柏飛行場跡を歩く>


<柏飛行場の駐屯した陸軍飛行第一戦隊>


<陸軍飛行第一戦隊 納翼の碑>

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