歴楽講座&見学会「ロケット戦闘機秋水と柏市花野井・大室」

  • 2016.10.05 Wednesday
  • 06:52

歴女・歴男よ 来たれ! 歴史を楽しむ歴楽講座、お気軽に!

歴楽講座 平成28年度第5回は「ロケット戦闘機秋水と柏市花野井・大室」

 


<秋水復元機:三菱重工(株)名古屋航空宇宙システム製作所にて>

 

<秋水地下燃料庫跡(花野井交番裏)>

 

最近、ロケット戦闘機秋水の地下燃料庫(正連寺)の保存について、色々報道されています。

戦争末期、その秋水を柏飛行場に配備しようとしていたとき、本格運用のために建設されたのは花野井・大室の地下燃料庫で、建設したのは陸軍航空本部でした。当時はガソリンに代わる燃料としてロケット燃料が期待され、ロケット戦闘機の量産が計画されました。全国で唯一ロケット燃料の地下燃料庫が残る柏市において、今回ロケット戦闘機秋水の概要説明を行った後、実際に周辺の秋水地下燃料庫跡などを巡ります。


場所:柏ビレジ近隣センター(柏市<大室1285-1)会議室A 集合&説明

     アクセス: 柏駅西口か北柏駅入口より、東急柏ビレジ行きバスで「柏ビレジ第一」下車徒歩1

              TX柏の葉キャンパス駅より、東急柏ビレジ行きバスで「柏ビレジ第一」下車徒歩1分


日程:2016年10月23日(日) 13時〜16時くらいまで (13時集合)
テーマ:ロケット戦闘機秋水と柏市花野井・大室(講座&見学会)
講師:当会より
参加費:会員100円、会員外300円 (資料代など)
その他:柏ビレジ近隣センターには駐車場がありますが、台数が限られますので、なるべくバス等を利用し、お越しください。

     また高低差のある場所を通りますので、足元のしっかりした靴、歩きやすい服装でお願いします。

 

<きつね山古墳>

<畑に突き出た秋水地下燃料庫の換気筒(数年前の写真)>

ロケット戦闘機秋水についての講演会に参加して

  • 2016.09.11 Sunday
  • 14:19

<秋水復元機 〜三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所に展示>

 

9月10日は、柏市花野井の大洞院という寺で、ロケット戦闘機秋水に関する講演があり、有志で参加しました。
講師は、秋水研究家の柴田一哉さんです。 花野井にあるようなロケット戦闘機秋水の地下燃料庫は柏にしか作られていませんが、柏以外にも四日市にも燃料保管用のトンネルがあったとか、興味深い話でした。よくロケット燃料の甲液(過酸化水素水80%濃度のもの)と乙液(水化ヒドラジンに安定剤など)を混合して得られる推力でロケット戦闘機が飛ぶメカニズムに興味をもつ人が多いと思います。それはそれでいいと思いますが、実際に秋水に乗るための訓練や実験隊の活動の様子は、今までも当会でも聞取りなどしておりますが、詳しく聞けたらと思いました。

 

柏市にはかつて柏の葉に陸軍飛行場があり、アジア太平洋戦争末期にロケット戦闘機秋水が配備されようとしており、地下燃料庫が柏市花野井と飛行場に隣接した正連寺に建設されました。その地下燃料庫は、柏市花野井にあるものが規模が大きく、全長40mくらいの上から見ると昔の黒電話の受話器のように両端が湾曲した形、コンクリートに粗い小石を入れて骨材としたものです。

 

<花野井の地下燃料庫分布図:「千葉県の戦争遺跡」より許可を得て転載>

 

花野井の地下燃料庫を建設した人達としては、指揮した陸軍航空本部の森川弘少尉の名前やその配偶者であった佐藤愛子氏のことはよく耳にしますが、実際に働いた朝鮮人労務者や地元の人達の協力などについてはよく分かりません。

 

いっぽう、正連寺の方は、ヒューム管を組み合わせてL字形をなし、長い方で径1.8mほどのヒューム管(長さ2.5m)を8つ連結し、20mほどとしたものです。正連寺の地下燃料庫の内部の2つの穴は、換気用と思っていましたが、そこにはまる管を地上まで伸ばし、いざという時に水を入れて爆発事故を食い止めるものと柴田さんは言っていました。

 

<既に破壊された4号丘の地下燃料庫の内部>


正連寺で見つかった5基の地下燃料庫のうち、1基が最近千葉県の開発により破壊撤去されました。また、もう1基が今月末に破壊されようとしています。戦争遺跡をいとも簡単に壊していき、柏の葉があたかも陸軍飛行場のあった場所ではないかのように、開発を進めるというのは歴史の記憶の破壊であります。遺跡は一度破壊されたら、元に戻りません。


戦争遂行のために、当時の日本政府が作った施設を、たかだか千葉県の一役人が壊すというのは、当時の人からみれば、突貫工事で御国のために作ったものを何てことするんだとなるでしょう。また旧軍設備は終戦後大蔵省に移管されて一旦国有財産とされ、その後多くが民有に転換されたと思いますが、転換する際には払い下げのために手続きがされた筈です。土中に埋蔵されていた旧軍施設を土地が払い下げされたからといって、埋蔵物まではその土地と一緒に資産が転換されたとは考えられず、千葉県はいかなる手続き・根拠をもって、戦後国に移管された筈の資産を勝手に破壊したのでしょうか。

 

<柏市正連寺の5号丘地下燃料庫の上で(隙間から中をみる新聞記者)>

 

 

<講演の前、硫酸瓶を前に>

 

なお、写真に写っているガラス瓶は、硫酸瓶で、秋水の燃料をいれたものです。呂号薬と言われたロケット燃料は、特に過酸化水素の甲液の扱いが難しく、衝撃を加えたり、不純物が入ったり、密閉しても爆発の危険性があるので、籐でくるんで何かあった時の衝撃をやわらげ、ガラスの瓶と蓋もガラスで、不純物の混入を防ぎ、適度に気化したのが抜けるようにしたそうです。

 

<秋水燃料を入れたガラス瓶(上の写真と同じ硫酸瓶で籐の覆いがないもの)>

 

ロケット戦闘機秋水の動画2題

  • 2014.09.23 Tuesday
  • 23:24

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会では、昨年ロケット戦闘機秋水の地下燃料庫の見学会を行い、その前には秋水搭乗員養成部隊である海軍秋水隊の元中尉の方の聞き取りも行いました。

聞き取りは記録したものをまとめましたが、その際の映像または関連する画像などを使って短い動画を作成しています。

以下、YouTubeにもアップしましたが、2つ動画を作成しました。 なお、女性の声のナレーションは元アナウンサーの富澤さん、男性の声は会の会長です。


 

ロケット戦闘機秋水〜海軍搭乗要員は語る〜  ↓

ロケット戦闘機秋水と地下燃料庫  ↓

※「古城の丘にたちて」外伝より転載

ロケット戦闘機秋水と柏

  • 2013.12.19 Thursday
  • 07:02
1.秋水開発の経過
太平洋戦争末期、米軍のB‐29による日本本土爆撃に対して高度1万m以上を飛来するB‐29に対して日本軍の戦闘機はエンジンに高高度用過給器を装備していないため充分に迎撃することが出来ませんでした。
そのため高高度の希薄な大気中でも飛行可能なロケットエンジンを装備した戦闘機を陸海軍と民間で共同開発することが計画されました。一方、当時同盟国のドイツではロケット戦闘機メッサーシュミットMe163が既に開発されていました。
ドイツのそうしたロケット戦闘機の機密資料を積み、昭和19年(1944)3月フランスのロリアンを出航した2隻の日本の潜水艦のうち、1隻は大西洋にて撃沈され、後発の潜水艦伊29も、7月14日、日本占領下のシンガポールに到着したものの、バシー海峡で米海軍の潜水艦に撃沈されてしまいました。しかし、伊29潜に乗っていた巌谷英一海軍中佐が、ドイツ航空省から渡された資料を零式輸送機に乗り換えて日本に持ち帰り、その資料をもとに日本版のロケット戦闘機は設計・開発されたのです。
巌谷中佐が持ち帰った資料は、Me163B の機体外形3面図などわずかなものでした。
それらの数少ない資料を基に短期間の間に軍と民間(三菱重工) で試行錯誤を繰り返しながら開発を行い、昭和2O年(1945)に試作1号機が完成しました。
そして海軍は、昭和2O年(1945)7月7日に横須賀市追浜の海軍飛行場にて試験飛行を実施したのです。
しかし試験飛行は離陸には成功したが、エンジントラブルで機が墜落して、操縦していた犬塚大尉は殉職しました。その後、実戦配備に向けて訓練及び開発は終戦まで継続して行われましたが、当時の空襲による工業力の低下や初めてのロケットエンジンの開発等に多くの難問があり結局終戦までに実際に飛行したのは犬塚大尉の乗った一機のみでした。

<ロケット戦闘機秋水搭乗要員聞き取りの記録動画(イントロ)>
 

2.無謀な計画のもとで
秋水は、乗員一名、尾翼のない三角形の主翼のみの小型飛行機ながら、ロケット燃料の甲液(過酸化水素の濃度80%の水溶液と安定剤)と乙液(水化ヒドラジン30%とメタノール57%、水13%の溶液に、銅シアン化カリを少量混入)の混合による反応により推力を得て、最高時速900Km、約3分半で高度1万mまで達する、という画期的な戦闘機でした。

それは、1万mという高高度に駆け上がって、装備されている30ミリ機銃2門で銃弾を撃ち込み、その後もロケット燃料による上昇と下降を繰り返し、最後に燃料が尽きると、グライダーのように滑空して、胴体から出した橇で着地するもので、操縦するのにも高い技量を必要としました。また1回の飛行に、約2トンと大量な燃料を必要としたのです。
秋水は約1年の開発の後、当初昭和20年(1945)9月までに数千機作る計画であったといい、生産計画自体、無謀であったと思われます。
最初、燃料を自製できることから、軍首脳はこのロケット戦闘機に飛びついたのですが、ロケット燃料の甲液である過酸化水素の80%もの高濃度のものは、日本では生産したことがなく、高濃度の過酸化水素は、強酸性で鉄などの金属類を溶かし、不純物が入ったりすると爆発するという扱いに困るものでした。また燃料の生産、貯蔵容器の確保などには多額の費用が必要でした。

3.戦争の記憶と遺構
陸軍では、柏飛行場に秋水を配備する計画でした。柏柏飛行場が首都東京に近く、1,500mの舗装滑走路を持ち、銚子沖などから東京に侵入してくるB29を邀撃するのに絶好の位置にあったことがその理由です。陸軍の航空審査部の関係者が柏飛行場近くの寺院などに宿営、秋水実験隊の拠点が作られました。
また、過酸化水素などロケット燃料の貯蔵庫として、地下燃料庫が建設されました。最初は十余二の飛行場に近い場所に主に実験飛行用、後に昭和20年(1945)春頃にリスク分散のため、柏飛行場から東へ2Kmもはなれた花野井や大室に地下燃料庫が建設されました。
花野井・大室の地下燃料庫の建設を指揮した森川陸軍少尉は現地に滞在し、多くの朝鮮人労務者が建設に従事しました。
一方、海軍でも横須賀の海軍航空技術廠や元山航空隊、百里基地などで、海軍三一二航空隊(秋水隊)を中心に搭乗要員の訓練がおこなわれました。

当会は今年3月に海軍の秋水搭乗要員だった方(元海軍中尉)の聞取りを行いました。そこでは、低圧タンクなどの装置を使った種々の訓練、三一二航空隊士官パイロットによる「秋水」命名の経緯、試験飛行時の様子と犬塚大尉の殉職などについて、詳細に語られました。また8月24日には、花野井の秋水地下燃料庫の見学会を行いました。
戦後長らく世に知られて来なかった秋水ですが、関係者の証言や関連の戦争遺跡(下図参照)は残っています。
秋水は戦争末期にたった1年の短期間に海陸軍と民間が総力を挙けて協カし試験飛行までにこぎ付けましたが、一方その開発や燃料生産に多大な資金を要し、国民生活に大きな負担を強いるものでした。
*8月24日の当会主催の秋水地下燃料庫見学会資料(若山善幸会員、山崎舜造会員作成)をもとに加筆しました

秋水地下燃料庫地図
 

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