不安な青春時代
- 2015.06.05 Friday
- 01:22
随分と昔ですが、学生の頃歴史のサークルにはいっており、日本の近代の経済史などをかじっていました。 寮で生活し、東京都内ではあっても三多摩でしたので、静かな環境で本はそこそこ読み(あるいは積ん読?)、何かと議論をしていたような気がします。
今、学生は本を読まなくなり、議論もしなくなったと聞きます。 私も本当に本をよく読んだかといえば、本棚に岩波の経済学辞典があるとほっとし、古本屋で買った社会科学の本を最初だけ読んでこれも本棚に飾って、安酒を飲んでは放歌高吟、くだらないことも色々していたような。 もともと理科系で高校時代を過ごした自分は、経済学の数式とかには違和感はなく、なんとかの法則というのも、社会科学にはつきものですが、それもほぼ抵抗なく受け入れていました。 むしろ、文学的な表現、例えば「パラダイムの転換」などという言葉には意味がなく観念的なものと感じ、歴史を物語のようにするのには胡散臭く抵抗を感じておりました。 歴史系の大学院生などの話を聞くと、例えば養蚕など明治期の産業を調べるために、長野県などの農村の現地の資料をしらべたり、統計的な手法を使ったりしていましたので、そういう実証的なものこそが学問ではないかと思っていたのです。
その頃、歴史のサークルの部室に行く途中、合唱団の部室があり、よく「エルベ河」の合唱が聞こえていました。旧ソ連の歌を合唱団が歌うことは、当時は珍しくもなく、先輩の話では吉祥寺にあった歌声喫茶でもよくそんな歌や極端にはインターなども歌っていたようです。「門前の小僧習わぬ経をよみ」ならぬ、「門前の部外者習わぬ合唱の歌を覚え」で、自分もひそかに「エルベ河」の歌が好きになりました。
一方、所属していた歴史のサークルでは、なぜか「心騒ぐ青春の歌」をもちろん伴奏なしで、会長であった先輩の指導で歌わされていたので、あまり意気もあがらず、正直なところ私はその歌が嫌いでした。 心騒ぐ青春の歌は、作詞:L. I. オシャーニン、作曲:A. N. パフムートワで、ロシア革命後のソ連での極東方面における反乱軍鎮圧のための活動資金を届ける二人の青年の活躍をつたえる映画の挿入歌で、日本でも愛唱されていました。 歌詞は3通りくらいの訳がありますが、文語調の園部四郎訳を我々はうたっておりました。
それが年をとってからきくと、意外に良い歌と思うようになり、歌の原題を調べたところ、Песня о тревожной молодостиといい、直訳すれば「不安な青春時代」という題もつけられたそうです。
今、歴史を捻じ曲げ、歴史を神話化する試みがされるなか、時々、初めて経済史の分野で色々な文献を読み、養蚕などの産業の歴史を地場であたっていた諸先輩の話を聞いた若い頃を思い出すのです。 そして、その当時嫌だった「心騒ぐ青春の歌」がなぜか懐かしくも思えます。
Песня о тревожной молодости 心騒ぐ青春の歌 の動画 ↓
後楽園の紅葉が素晴らしく印象に残っていた以外は、特に深い意味はありません。