馬加系千葉氏が拠った城

  • 2015.12.08 Tuesday
  • 22:53

<本佐倉城跡(奥ノ山)>

千葉氏といえば、源頼朝を庇護した千葉常胤が有名ですが、その子孫は下総国守護として連綿として戦国時代まで続きました。連綿といっても、実際は一族の分裂、家中の抗争の連続で、戦国時代の途中で勢いが衰え、最終的には小田原北条氏の傘下でかろうじて存続するまでに弱体化します。
鎌倉時代末期に近い頃、元寇の対策で九州に鎌倉の御家人が集められたとき、千葉氏もまた千葉頼胤がこれに応じて九州に赴き、元軍との戦いで傷を負い死去。子の宗胤も九州に下向、下総に帰ることができなくなり、下総は家臣に擁立された宗胤の弟胤宗がおさめるようになり、かくて宗胤の子孫の九州千葉氏と下総に残った胤宗の子孫たちと分立しました。南北朝期には、九州千葉氏は北朝、下総本国の千葉氏は当初南朝で戦いましたが、これが大きな第一回目の分裂。
そして、室町時代、元々鎌倉府の長官であった古河公方と関東管領上杉氏との対立を基軸とする享徳の大乱(享徳3年(1454)〜文明14年(1482)まで続いた関東の戦乱)がおきると、千葉氏は内部分裂します。当初古河公方方であった千葉宗家は、千葉胤直の子胤将がなくなった後、胤将の弟胤宣の代になると一転して管領上杉氏につきました。それに対し、古河公方成氏方には千葉氏一族の馬加康胤、原胤房がついて、家中が分裂したのが、二回目の分裂です。

康正元年(1455)に馬加康胤らが従来の宗家であった千葉胤直・胤宣を追い詰め、胤直・胤宣は千田庄の嶋城、多古城に逃げ、自害。胤直の弟・胤賢も小堤(おんずみ/横芝光町)で自害、従来の千葉氏宗家は滅亡。
胤賢の子・実胤・自胤(これたね)らは、曽谷氏らの支援で、市川城に籠り合戦するも武蔵へ敗走、以降かれらは武蔵千葉氏と称されました。


<市川の真間山弘法寺>

その間、将軍家から馬加康胤追討の命をうけた、美濃の東常縁らが、下総の千葉氏・原氏と戦い、その中で馬加康胤の子胤持が康正2年6月に戦死。康胤自身も同年11月に戦死したようです。しかし、それで終わらなかった。康胤にはもう一人身内がおり、それが岩橋輔胤で、その子孫が下総千葉氏の跡を継いでいきます。岩橋輔胤は康胤の子とも、弟とも、養子ともいいますが、近親者であったようです。
岩橋輔胤は、応永28年(1421)生- 明応元(1492)年2月15日没とすると、康胤が亡くなった康正2年(1456)時点で35歳。
康胤は59歳で没したとされるので、康胤とは24歳年下、康胤と同じ年に23歳でなくなったという胤持より12歳年上になります。
年齢からすると康胤の庶長子、または応永28年(1421)には康胤の父千葉満胤は隠居していましたが生存しているので、輔胤は康胤の弟でもおかしくない。「千学集抄」などでは、岩橋輔胤は今の成田市に本拠があったらしい千葉氏一族の馬場胤依の子となっています。しかし、岩橋輔胤は馬加康胤の存命中の康正2年(1456)10月に、市川の真間山弘法寺に安堵状を「平輔胤」として発給しており、その時点で康胤の後継者となっていたと考えられ、その継承をめぐって紛争も起きていないようですので、やはり岩橋輔胤は馬加康胤の近親者と考えられます。

馬加系千葉氏の享徳の大乱中の居城は、従来馬加康胤の頃にいきなり千葉城から本佐倉城とされていましたが、千葉城といっても千葉地裁の場所にあった千葉館かもしれず、また本佐倉城を築いたのは文明年間頃で岩橋輔胤か千葉孝胤が築城者、本佐倉城が完成するまでは千葉市緑区にあった平山城にいたらしいことが分かってきました。


<平山城跡の北西約900mにある平山お願い薬師・東光院>

馬加系千葉氏の居城の変遷をまとめますと、以下のようになります。
◇馬加康胤 馬加城(千葉市花見川区幕張)→千葉城(館)→平山城(千葉市緑区平山町)【伝承】

◇馬加胤持 千葉城(館)→平山城(千葉市緑区平山町)【伝承】

◇岩橋輔胤 下岩橋城?→平山城【伝承】→本佐倉城?

◇千葉孝胤 本佐倉城


この平山城跡は、千葉県教育委員会の発行した「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書機廚砲茲譴弌∪虱媚堽亢菠浸劃の標高40m、比高20mの台地上にあって、約340m×170mの広さがあるとのことですが、上の空中写真で分かるように舌状台地の先端部分にあります。実際に行ってみると、平山十字路を南に下り、長谷部入口のバス停付近で分岐する道をしばらく歩くと台地の縁辺に出て、いったん下りまた登るという調子で進めば、主郭部分や周辺に土塁が残存しています。長谷部入口から林の中を歩くような雰囲気ですが、古い大きな家があり、城跡の近くにも家が建ち並んでいます。宅地や畑など、城跡は私有地ですので、やたら入れませんが、結構な広がりを感じます。しかし、道が狭く自動車は対向車がくるとすれ違えませんし、第一置く場所がありません。長谷部の集落からは歩いていくことをお勧めします。

 
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