不戦の誓い新たに 柏飛行場と陸軍航空の終焉

  • 2017.07.02 Sunday
  • 08:46

日本の敗戦から、既に72年経ちました。 多くの将兵が戦死、非戦闘員でもアジアの民衆も含め、多くの人々が犠牲になった戦争の記憶はややもすれば風化しつつあります。

 

 

柏市の現在柏の葉公園や住宅地、官庁の建物などが多くある場所に戦時中あった柏飛行場は、陸軍の飛行戦隊が駐屯していた飛行場で、首都圏のほかの飛行場、成増や立川、調布、松戸、印旛などと同様に首都防衛の任務を担っていたとともに、南方への戦闘機移動元でもありました。長く柏飛行場に駐屯していた飛行第五戦隊も、昭和18年(1943)7月、ジャワ島マランに移り輸送等の掩護を行ったりしていましたが、当時の陸海軍が捷号作戦として南方から中国にかけて展開しようとした一連の大規模軍事作戦の最初にし

て最後の作戦であった、捷一号作戦に柏から飛行第一戦隊(捷一号作戦発動時の戦隊長は松村俊輔少佐)が参加したことは特筆すべきでしょう。

しかし、戦況は日ごとに悪化し、その後の東南アジアで、日本軍は敗退を続け、フィリピンでの捷号作戦でも日本軍は大きな打撃を受けました。飛行第一戦隊も、10月28日払暁にはマナプラ飛行場で松村戦隊長が離陸時の事故による戦死をとげ、その前後で中隊長クラスの搭乗員が何人かなくなっており、400名ほどの戦隊が、フィリピンから内地帰還できたのは、戦後も含めわずか数十名となりました。松村俊輔戦隊長は陸士46期、戦闘機に乗って十年以上のベテランでしたが、戦闘機の定位置が少しずれていたために、軌道修正がきかずに正常に離陸できず、殉職しました。なんと、11月7日付けで松村戦隊長の後任とされた春日井敏郎大尉は戦史によれば、実は10月25日に戦死していたとあり、そのあたりでパイロットの方はかなりなくなっているようです。
戦後70年、柏飛行場は遺構も少なくなり、住宅地の中に埋没している感がありますが、ここに起居した将兵は、陸軍軍人とはいえ、もとは我々と同じ市井人であり、よき親、よき息子だった筈です。戦死せずに生き残った方たちは、会社勤めをしたり、商売をしたり、軍医さんは開業医になったり、普通の市民生活を送りました。

  フィリピンで戦死した春日井大尉(飛行第一戦隊元大尉のアルバムより)

一般的な研究者が行う戦争遺跡についての研究は、ややもすると戦争遺跡自体の規模や往時の機能などに目が行きがちで、かつ聞取りなども割合に聞取りがしやすい飛行場周辺の住民や工事などに動員された勤労学生だけにとどまっていて、やすきに流れているようです。軍人出身でないような、普通の研究者は、軍隊の細かいことまで知りませんし、軍隊生活がどのようなものか実感で知ることもなく、肝心のそこで訓練し、生活していた、戦争末期にはB29を迎撃したりした当の軍人たちへの密着した聞取りなどはあえてしない、面倒なことは避けているのではないかと思われる場合さえあります。 いくら周辺住民に聞いても、飛行場内部、軍内部のことは分かりません。 飛行場の兵舎で寝起きし、実際に飛行場で訓練、出撃した人でしか分からないことが多いのです。
当会では、何回か柏飛行場に駐屯していた飛行戦隊の元隊員の方や、秋水については海軍秋水隊の元隊員の方に聞き取りをおこなっております。

 

当会の歴楽講座平成29年度第4回では、「不戦の誓い新たに 柏飛行場と陸軍航空の終焉」というテーマで実施しようと思います。

 

日時 2017年8月20日(日)13時〜

場所 パレット柏(柏市民交流センター) 多目的スペースA

   (柏市柏一丁目7番1−301号 Day Oneタワー3階 柏駅南口から徒歩3分)

テーマ 「不戦の誓い新たに 柏飛行場と陸軍航空の終焉

講師 当会より

参加費 会員:100円、会員外:300円

その他 施設に駐車場はありません。近隣にいくつか有料駐車場があります。

不戦の誓い新たに、旧軍のこと、アジア・太平洋戦争の実相を知ることは、二度と悲惨な戦争を起こさないということにもつながります。

 

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